Sensoji Temple

日本の風景(III):浅草寺

浅草寺(浅草観音)は、東京・浅草にある仏教寺院です。東京で最も古く、最も人気のある寺院の一つです。年間3,000万人以上の参拝客が訪れる、世界で最も多くの参拝客が訪れる霊場です。本堂、五重塔、商店街などを含む広大な境内を有しています。

浅草寺について

浅草寺

東京は寺院の街であり、中でも浅草寺は1300年以上の歴史を持つ最古の寺院です。東京で最も人気のある観光スポットの一つです。観音堂(本堂)には、慈悲の菩薩である観音様が祀られています。浅草寺の魅力は、本堂だけでなく周囲の建造物にも表れています。境内には、壮麗な門楼や古建築が数多く残されています。また、東京最大の商店街も魅力の一つです。

浅草寺は一年を通して観光に最適です。春には桜が満開となり、多くの人々が花見や写真撮影に訪れます。4月4日の花祭りでは、色とりどりの花とアジサイで作られた甘いお茶で、釈迦の誕生日を祝います。夏には、浅草寺で東京最大級かつ最も人気のある祭りの一つである三社祭が開催されます。この祭りは晩春に3~4日間開催され、江戸時代の衣装を身にまとった人々が神輿を担ぎ、練り歩きます。9月になると、浅草寺は赤いモミジと黄金色のイチョウで飾られ、また違った表情を見せます。冬には、12月17日から19日まで納めの観音御縁日(年最後の例大祭)が開催されます。この行事期間中は、寺の堂や門の近くで羽子板市が開催されます。

浅草寺の歴史

浅草寺

628年、檜隈浜成と檜隈武成という二人の漁師が隅田川で観音像を発見しました。二人は観音像を川に戻しましたが、それでも観音像は何度も戻ってきました。この観音像の神聖さに気づいた村長の橋野仲元は、自宅を改築して小さな寺を建て、そこに観音像を安置しました。後に浅草寺が創建され、645年に完成しました。

鎌倉時代(1185~1333年)、将軍は浅草寺に深い信仰を示しました。他の著名人もこれに倣い、浅草寺の重要性は高まりました。江戸時代(1603~1868年)には、徳川幕府の強力な支援を受けました。1590年、初代将軍徳川家康は浅草寺を将軍家の祈祷寺に定めました。それ以来、歴代の将軍家臣は浅草寺を頻繁に参拝し、浅草寺の人気は民衆に広まりました。浅草の急速な発展に伴い、浅草寺は娯楽の中心地としてますます市民に親しまれるようになりました。

10世紀から11世紀にかけて、浅草寺は有力な武将たちの参拝を受け、寺の再建と拡張が決定されました。この時期に、有名な雷門と宝蔵門が完成しました。有名な鳥居は1727年に建立されました。第二次世界大戦中、東京大空襲により浅草寺の境内の大部分が破壊されました。その後、寺院は完全に再建されました。

見どころ

浅草寺

雷門:雷門は浅草寺の外門です。重さ約700kgの巨大な赤い提灯が特徴的です。提灯の正面には「雷門」、背面には正式名称である風雷神門が描かれています。雷門は、風神様と雷神様という二柱の神々を象った像によって守られています。

仲見世通り:仲見世通りは、金鯱門と宝蔵門を結ぶ全長200メートルの商店街です。仲見世通りの商業中心地としての歴史は江戸時代にまで遡ります。通りには、様々な日本のお土産や地元の伝統的なお菓子が数多く並んでいます。

宝蔵門:宝蔵門は浅草寺の正門です。門内には巨大な常香炉(じょうこうろう)があり、その煙には治癒の力があると言われています。

五重塔:宝蔵門の隣には五重塔があります。神聖な慰霊碑のため、一般参拝は禁止されています。

本堂:常香楼の裏手には浅草寺の本堂があります。本堂には、何世紀も前に漁師によって発見された観音像が安置されていると言われていますが、その像は何世紀にもわたって無縁のままでした。

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