日本に現存する12の城の中で、姫路城は最大規模かつ最も保存状態の良い城です。国宝およびユネスコ世界遺産に指定されており、その文化的価値と美しさから、何百万人もの観光客を魅了しています。日本に興味のある方なら誰でも、姫路城は必見です。
姫路城とは

姫路城は、機能性と美観を兼ね備えた木造建築の傑作です。優美な白漆喰壁と塔状の屋根から、「白鷺城」とも呼ばれ、市内のほぼどこからでも見ることができる壮大な城郭です。
姫路城は兵庫県姫路市にあり、107ヘクタールを超える敷地に80以上の建物が建ち並びます。春には、境内に1,000本の桜が咲き誇る人気のお花見スポットとなります。地元の人々や観光客数百人が、ピクニックを楽しみながら春の桜の美しさを堪能するために、姫路城に集まります。
姫路城は、もともと周囲の防衛を強化するために設計・建設されました。城は2つの堀(水を張った堀)に囲まれ、21の門と32の土塀で守られています。かつては84の門がありましたが、現在残っているのは21のみです。城壁の全長は3マイル(約4.8キロメートル)で、一部では高さ85フィート(約26メートル)に達します。城壁は耐火性のある白い漆喰で覆われ、石落とし窓(石を投げたり、煮沸したりするための穴)が設けられています。また、1,000もの枡間(様々な形状の壁の銃眼)という独創的なシステムがあり、守備隊は矢、槍、鉄砲などで城を守ることができました。
姫路城の歴史

1333年、現在の姫路城が建つ姫山に、武将の赤松則村によって砦が築かれました。1346年、則村の砦は取り壊され、則村の息子である貞則によって姫路城が築かれました。姫路城は天勝氏を敵対する領主から守るために使用されました。戦国時代(1467~1568年)には、姫路城は織田信長の家臣である豊臣秀吉に与えられました。秀吉は城を大幅に改修し、本格的な要塞へと変貌させました。1600年の関ヶ原の戦いで徳川幕府が台頭しました。戦後、姫路城は将軍の側近であった池田輝政に褒美として与えられました。輝政は姫路城を再建し、1609年に完成させました。
姫路城は幾多の戦乱や地震にも耐え、今もなお無傷のまま残っています。その長い歴史の中で、姫路城には多くの伝説が語り継がれています。姫路城には、妖艶で姿を変える狐、刑部姫が棲んでいると言われています。刑部姫は人間を憎み、大名池田輝政の死の責任を負ったと言われています。また、城内の井戸にまつわる怪談もあります。お菊という召使が窃盗の罪で陥れられ、殴打されて井戸に沈められたという逸話もあります。また、姥ヶ石(うばがいし)や桜井源兵衛に関する伝説も残っています。
スポット の 姫路城

1. 大天主
姫路城のハイライトは、なんといっても大天守です。城内で最も高い天守閣で、地下1階、地上6階建てです。3つの小天守が互いに連結されており、大天守と繋がっています。
2. 菱門
姫路城には21の門が残っており、中でも菱門は最大の門です。門を支える柱には「菱」の紋が刻まれており、城の最初の門でもあります。
3. 西の丸
西の丸は菱門の左手にある庭園です。庭園内には、千姫のために建てられた化粧櫓(けしょうやぐら)と呼ばれる建物があり、姫の憩いの場であったと考えられています。