「秋田」という地名の起源は、飛鳥時代中期(600年代半ば)の史書に遡ると考えられています。阿倍比羅夫(あべのひらふ)率いる軍が「あぎた」(顎のような形をした土地)と呼ばれる地域に遠征した際に、この地名が使われました。700年代初頭には、出羽柵(でわざ)と呼ばれる古代の城郭が山形県から現在の秋田市岡館に移築されました。時を経て、この柵は秋田城と呼ばれるようになり、次第にその名が定着していきました。
秋田市は現在、秋田県の政治、経済、交通の中心地であり、日本海北東部沿岸最大の都市です。江戸時代には佐竹氏(後の秋田藩)の城下町として栄え、雄物川(現在の秋田運河)河口に位置する土崎港(現在の秋田港)は、北前船の港として栄えました。
活気あふれる夏の祭り「竿燈まつり」で知られる秋田市には、今もなお多くの老舗料亭、伝統菓子店、食料品店が軒を連ねています。これらの店は、この街の豊かな食文化の伝統を垣間見ることができ、世代を超えて受け継がれてきた伝統の味を味わうことができます。
杉山寿山堂——創業1705年

杉山寿山堂は、1705年(宝永年間)、杉山良策によって創業された老舗和菓子店です。秋田駅からバスで臨海ジャンクション行きのバス停「杉山寿山堂」から徒歩3分です。明治時代の火災で杉山寿山堂の詳細な歴史資料は残念ながら失われてしまいましたが、今もなお愛され続ける老舗です。現在は、1922年創業の株式会社薫堂の子会社として営業しています。
杉山寿山堂の創業者、杉山氏は秋田銘菓「もろこし」の考案者とされています。杉山氏が四代藩主・佐竹義教に「もろこし」を献上したところ、大変好評を博しました。藩主は「味は他の菓子に勝る」と評したことから、「もろこし」の名が付けられました。
京都嵯峨野離宮の御用商人となり、その才能はさらに認められました。艮の合戦の際、佐和三位、九条五代、九代の三代が明徳館に駐屯していた際、杉山氏は自らの菓子を献上し、その功績を称えられました。
「もろこし」は、日本全国で見られる「落雁」のカテゴリーに属する干菓子です。落雁は、もち米、うるち米、大麦、大豆、小豆、そば、きび、そら豆などの穀粉に砂糖、少量の水または水飴を加えてよく練り、様々な形の型に押し込んで乾燥させて作られます。杉山寿山堂の「もろこし」は、小豆粉と砂糖を主原料としており、添加物や着色料は一切使用していません。
秋田市で販売されているもろこしは、実に様々な味が楽しめます。中でも杉山寿山堂のもろこしは、最もシンプルなタイプと言えるでしょう。しかし、その美味しさは格別です。甘さとほのかな塩味が絶妙に絡み合う、繊細で繊細な味わいです。口の中でとろけるような滑らかな舌触りと、心地よい噛みごたえが魅力です。小豆粉と砂糖を合わせた風味豊かな生地は、ほのかな甘さとナッツの風味を醸し出しています。杉山寿山堂は、伝統的な製法を守り続け、様々な品評会にも積極的に参加し、秋田を代表する銘菓として広く知られています。
住所:〒010-0941 秋田市川尻町大川端170-82
写真出典: https://www.morobashi.jp/index.html 杉山壽山堂2023/8/9